みんなの就職活動 住まいの歴史:接客本位の構え

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みんなの就職活動 住まいの歴史:接客本位の構え


「住まいの歴史」の中から、「接客本位の構え」のルーツについてのお話をします。

 明治時代からのわが国の住宅は、接客のための「しつらえ」が
住居の大半を占めるような間取りでした。
その特徴は接客の部分と家族生活の部分とが、はっきり分けられるようにできていて、
接客の部分は広く立派につくられ、家族生活の部分は狭く地味につくられていることです。

 このような空間秩序の考え方の源は「武家社会」に発しています。
もちろんこのような傾向は「貴族社会」にも存在したのですが、
確立したのが武家社会に入ってからと解釈すると良いでしょう。

 身分秩序に基づく封建的な武家社会では、武士は主君に仕え、
禄高や家屋敷まで主君の給付を受け、住居の中で主要な「お座敷」が役職上の公事、
主の間に当てられます。
これがいわゆる「おもて」の間で、これを立派に維持することがその家の当主だけでなく、
主君の体面にもつながるというわけです。
これに対して家族向きの部屋は「おく」です。
この「おく」を質素にすることで「おもて」の体面を保つという形態が最も美徳とされていました。

 以上が、「接客本位の構え」のルーツです。
明治以降、文明開化や欧州主義を唱えながらも、
人々の生活規範は武家社会のものを手本にしていました。
おもて・おくの関係が接客・家内の関係になり、明治15〜25年ころの欧化全盛期には、
華族・高官・軍人・富豪などはこぞって豪壮な洋館を建設し、宴会や舞踏会、園遊会を
催したのです。
つまりこれは、欧風化した「おもて」であり、実生活は渡り廊下でつながれた「おく」である
和風住宅で過ごしていたのです。

 このようなスタイルが中産階級の住宅では、玄関の横あたりに
洋風の応接間を設けるという「和洋折衷」の様式を作り出したのです。

 さて、その後の住宅ですが、給料生活者(サラリーマン)である新興の中産階級を中心に、
接客本位に対する矛盾感が高まるという現象が起きはじめます。
そしてこれが、大正期には、「家族本位」の住宅思潮へとつながっていくのです。